FlatfishGardenの泡 2nd

KOSHU178の日記

音楽は一生のお友達(4)

このソロについては、今でも時々思い出す事が2つあるんですよ。


その1 ほめられた!

ブラバン指導者(2名)が来た時に
ソロの最後を「ぷ〜ヘ〜ヘ〜 ヘッ・へ〜〜」と吹いたところ、
「おっ、こいつスゲエ!小学生のくせに無意識にフェイクしてやがるぜ。」
『うむ、今からこ〜だと末恐ろしいなブラザー』
『今のうちにつぶしておくか』
『そうだな。ガキの場合はほめ殺しがいいかもしれねぇな』
『よっしゃガッテン』・・「ボク、センスあるね〜、いいよぉ〜!」
(指導者達はジャズ系だったのか、Coolな言葉遣いだった。
 が、『 』内は心中を勝手に想像したもの。)


まあ唇が疲れてて、たまたまポルタメントがかかっちゃったのか、
テキトーにごまかそうとしたのか、、、多分両方だったんだろう。
ともあれ、ほめられたのがとても嬉しかった。
そして、このたった一言が、無垢な小学生に強烈な勘違いを与えた。


「わ〜い!(フェイクってなんだかよくわかんないけど)
 きっとボクはトランペットがスゴく上手いんだ!」


(ところがぎっちょん、
 この認識は中学生になって「あれぇ?そうでもないぞ?」に変わり
 高校生になって「うげぇ。俺って下手じゃん。きっと向いてないんだ。しょぼん。」
 に変化。結局、高校一年の夏、Tpはやめてしまいました。
 ・・・ほめ殺しが功を奏したか?(笑)


 それにしても、小学生に与えた「何気ないひとこと」って、
 ず〜っと(少なくとも35年以上は)彼の中に残ったりもするものなのなんですね。
 実は『始めたばかりの小学生にしては』という重要な前提を充分理解している今でも、
 自分のダメさ加減に落ち込んだ時など、この”ひとこと”を思い出して
 「いや、自分の中には、きっと何か『い〜もの』があるはずなんだ。」
 などと無理矢理言い聞かせたりもするのです。
 ある意味恐ろしい事実ですね。<特に教育関係のみなさま )
  

その2 失敗した!

なにしろ「マルタ島の砂」ばっかりどこに行っても演奏した。
TBSのこども音楽コンクールとか、市の文化祭とか、校内のイベントとか。
そこそこ自信もつき、ちょっと慢心していたかもしれない。
そんな中、松戸市民会館で演奏した時、ソロを失敗してしまった。
キャパ1200席のホール。市内の小中学校のブラバン生徒が大集合してる。
子ギャルもいっぱいいる(・・・いないってば)。とにかく、見せ場だ!


Aメロ〜Bメロ〜Aメロと合奏が終わり、スネアロールがどろろろろん、ぴたっ。
(伴奏付きアドリブ風ソロではなくて、完全なTpのアカペラ・ソロだった)
スポットが当たり、自分に視線が集中するのを感じる。
「(いくぜっ)・・・み〜〜らしどれみ〜〜〜  れ〜・ぶひっ」
ぶひっの所は高い「ソ」のはずだったのに「ぶひっ」になってしまった。
頭に血流が突進する。はれるや。
「ぶひひん、ふぁみ〜〜〜・・ぶいぶぃ・・・」
そこから先は覚えていない。
も〜ぉ恥ずかしくて恥ずかしくて、郵便ポストのように真っ赤になったに違いない。
薄れる意識の中「コギャルにモテモテ妄想」がどんどん遠くへ。
終了後
「そういうこともあるわよ。大丈夫、気にしない気にしない。」
と指揮の女の子に慰められても、かえって惨めな気持ちになるばかり。
このたった一度の失敗(=数秒間)で、
「ソロは目立つのでとても気分が良いが、失敗すると無茶苦茶恥ずかしい
 ハイリスク・ハイリターンなワークである。」
ということを、強烈に学習したのだった。そして、いまだに「ソロ」は苦手である。
(この演奏、違う小学校だったひらめ氏にも現場で見られてしまったらしい。
 ちなみに彼女の小学校はアコーディオン合奏で「越後獅子」だったそうな。渋い。)


「象のシワ」
この曲は、もろにデキシー調だった。
2ビートのぶんちゃ、ぶんちゃ。
メロは み みb  み みb み・みbみ〜・・・とこれまたブルーノートがらみ。
あ、Tbのグリスupのイメージがあるから、きっとトランペット鼓隊にもTbはいたんだな。
(Tbだった人、忘れてごめんね。)


アメリアッチ」と「デキシー」を小学校時代に演奏できたのはラッキーだったと思う。
両方とも「リズムにのってぶんちゃっちゃ。音楽は楽しいよ〜っ」という曲調だから。
また、楽器も楽譜もみんな学校の備品で、Tpに関して何も出費がなかったのもラッキー。
そういう意味で、部活はどんどん活用すべきですよ。<ご父兄の方々。
(ん?「ご父兄」って、お母さんがいない?
 父兄参観という言葉はよく聞いたが、父母参観は聞き馴染みがないぞ。
 最近は別の呼び方になっているのだろか。あ。単に授業参観か。)


「きらきら星変奏曲」トランペット三重奏
もう1曲小品があった。
さすがにレパートリー2曲じゃ寂しいって事だったのだろう。
奏者は、おいらと山本君とあんびるさんの3人。


あんびる(ごめん漢字変換で出てこない)さんとは、
社会人になってから偶然再会した。
20歳代後半、広告音楽制作会社でサラリーマンをやってた時。
「○○君〜、シンコーミュージックから電話だよ〜。なんか外国人みたい。」
「へ!?外国人ですか?」
「アン・ビールとかなんとかいう名前みたいよ」
あんびるという名字は、聞き馴染みがあったから外国人じゃないとすぐ解ったが、
実際に来社してもらって、初めて「シンコーミュージックのあんびるさん」が
「きらきら星のあんびるさん」と同一人物と解ったときは、お互いほんまにびっくりした。
その後程なくシンコーのエラい人と結婚〜寿退社したと噂で聞いている。お幸せに!


都内の私立中学へ進学した山本君とは、
高校時代まで一緒にバンドやったりして色々遊んでた。
高校を卒業してからはとんとご無沙汰していたのだが、
20年近く経ってから馬橋のライブハウス「オリンズ」で再会。
大学でも社会人になっても中年になった現在もロックなエレキを弾き続けている彼は
偶然オリンズのスケジュールチラシに「いなおけ」の名前を発見したらしい。
そんで、その日に出かけてみると、はりままとつっちぃのデュオだったそうな。
(「いなおけ」は、私が入ってるアマチュアポップスバンド。数年前から冬眠中。
 「はりまま」は、いなおけで唄ってるママさん。
 「つっちぃ」は、Vo&Gでいなおけの実質的リーダー。です。)


「あの〜〜〜、この稲葉○○ロイヤルシンフォニックオーケストラの稲葉って
稲葉こ〜しゅ〜という名前の稲葉さんですか?」
「そうですよ。」
「はぁ!?(キョロキョロ)」
「ああ。今日はいませんよ。
 彼は目黒に住んでいるので、あんまり馬橋に来ないんです。
 まぁ、いてもいなくても大差ないんですけどね、、、けけけけ。」
てな会話が交わされたらしい。(推測)
その後、フルメンバーのいなおけ(幸い私も参加できた)のライブにも来てくれて再会。
南流山に引っ越す時には素晴らしい賃貸物件を見つけてくれた。
(山本君は不動産屋さんなのだ。)


えっと、要するに、「きらきら星」をやった小学生三人ったら、
大人になってもやっぱり音楽がお友達なのね〜というお話でした。


そして「トランペット鼓隊」以外にも、
この時期に様々な”お友達”との出会いがあったわけですが・・・収集がつかなくなって来た。