音楽は一生のお友達(2)
続・小学校低学年
という訳でヴァイオリンはあっという間に押し入れにしまわれた。
ジャズ好きな父、オペラ好きな母、ロカビリー好きな従兄弟、タンゴ好きな伯母、
居間にはチェンバロとドラムセットが、、
・・なぁ〜んてことは全然ない!家庭環境だったので、
この時期の音楽はもっぱら白黒テレビからやって来た。
歌謡曲、子供番組のテーマ、CMソング。この3つがこの時期のお友達。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/4496/ChronicleJ_1967.html
上記の所を参考にして1967〜1969年の曲を適当に抜粋すると
「小指の想い出/伊東ゆかり」「世界は二人のために/佐良直美」
「恋の季節/ピンキーとキラーズ」「ブルーライトヨコハマ/いしだあゆみ」
「白いブランコ/ビリーバンバン」「時には母のない子のように/カルメンマキ」
「長崎は今日も雨だった/内山田洋とクールファイブ」
「夜明けのスキャット/由紀さおり」「夜と朝のあいだに/ピーター」
「帰って来たヨッパライ/フォーククルセダーズ」・・・
上記のリンク先の他の曲も半分以上は解る。同世代の人なら大抵そうだろう。
わずか3年だけ見ても「国民的ヒット曲」が随分沢山あったのは
みんな「お茶の間のテレビ」というIT革命に興奮して同じ番組を見ていたから。
「世代を超えてみんなが知っている曲」がほとんどない現代とは随分違う。
GSやフォーク系の唄もかなり解るが、
それはリアルタイムというより、もう少し後になって「あ、知っている!」
と追体験で体に入って来た気がする。
また、特にフォーク系の曲はあまりテレビには登場しなかたのだろう。
ついでにこの頃の子供番組は、、、え〜っと。。(どっかに一覧表ないかしらん。)
さらにこの頃のCMは、、(これも一覧表があったらリンクで済ませたいですね。(^^;)
子供番組の曲とCMソングのサウンドが歌謡曲以上に自分の感性に刻印を押したはずだ。
(関係ないけれど、20代後半の私の友人は
ファミコンの『ピコピコサウンド』を聴くと心が安らぐそうな。
幼児〜学童の頃に浴び続けた無機的な音色と無機的なリズムが
”心地良い”と刻印されているのだろう。)
ともあれ、テレビからの音楽にどっぷりだったのは間違いない。
遠足のバスの中で
「抱きしめたい〜貴方の事〜壊れる程 この手でぇ」
とか
「貴男が噛んだ 小指が痛い 昨日の夜の 小指が痛い♪」
「おらは死んじまっただぁ〜 ヨッパライ運転でぇ〜」
などと唄って「そんな唄はだめです」と怒られた記憶がある。
(怒られたといえば、この時期の家庭訪問で担任の先生から
『○○君はいい子なんですが、”スカートめくり”だけが度を超してまして、、』
と母親にチクられて、「恥ずかしくてたまんなかったわよ」と怒られた。)
またこの頃、ポータブルレコードプレーヤーとテープレコーダーがやってきた。
音楽のレコードと共にではなく、数十枚の英会話教材レコードと共に。
「イングリッシュアドベンチャー」みたいなものだろうか。
(んが、両親がこれを使って英会話の練習をしているのは一度も見た事がない。
英語が必要となった場面も、少なくとも私が成人するまでは一度もなかったと思う。
還暦過ぎてから海外に行く機会が出来たようだが・・・。)
初めてねだって買ってもらったレコードは米国人形アニメ「キャプテン・スカーレット」。
http://www1.odn.ne.jp/beni/itc/series/t_scarl.html
ビッグバンドサウンドにボイスエフェクトとテルミンが加わってるイメージがあるけど
実際はどうだったんだろう?
学校の音楽の授業は全く覚えていない。
ランドセルの脇にさしたリコーダーはよく覚えているけど。
これも手元にある。AULOSブランドのソプラニーノ(右上の写真)。
小学校高学年
4年生に進級時、当時の人口増加に対応して近所に小学校が出来たのでそっちに転校。
とりあえず1年生〜4年生までの学校。(よって、3年間ずっと最上級生。)
新設校の目玉(?)として「トランペット鼓隊」というのが作られた。
これまた自分から「入りたい!」と思ったかどうか覚えていないけど入隊した。
続く、かも。