FlatfishGardenの泡 2nd

KOSHU178の日記

Worm Hole No.3

六本木ストライプハウスギャラリー
松場昭典(Sound Installation)
大澤史郎(Vl) 鶴岡美直子(Poetry Reading) 太田豊(竜笛)

松場氏の作品は2mくらいのリングの対角線上に二つのテープレコーダーをセットし、
リングにそってカセットテープをループさせたもの。
テープレコーダのひとつは録音専用でもうひとつは再生専用。
昔の「エコーチェンバー」の原理。特徴は消去ヘッドがないことと1サイクルが1分半と長い事。消去ヘッドがないと、音が上塗りされるものの以前の音が劣化しながらわずかに残り理屈上は永遠に消えない。
録音機能がついていた8mm映写機の「サウンド・オン・サウンド」の仕組み。
このシステムによって、演奏者が忘れた頃に非常に劣化した自分の音がプレイバックされ、そのプレイバック音と現在の演奏が再び上塗り録音される。
演奏者は即興演奏を行う。
それぞれのソロが中心だが選手交代の時にデュオになる。
短い時間のトリオもあった。
松場氏は再生音量を調整したり、テープをつまんでスクラッチ状態にしたりヘッドにおしつけて発振させたりする。
非常にローファイな音がさらに劣化/変形される。
音量はかなり大きい。ローファイな爆音は耳に痛いが、独特の美しさもある。
特にヴァイオリンとの相性は良く、ステファン・グラッペリ的な音質になったり女性コーラス隊のように聴こえたり。(大澤氏はこの作品に参加するのが3回目という事で、勝手が解っているのもあるそうだ。)
終了後松場氏に「DJなんですね」と感想を述べたら「そういわれちゃうと、ちょっと。。」
と憮然とされてしまった。
しまった。この装置はコンセプチャルな美術作品だった、、、。
(自分にはその方向での審美眼が皆無で失礼してしまった。)


面白いなと思うのは松場氏が若いこと。(20代後半?)
「エコーチェンバー」も「8mm映写機」も彼の生まれた頃に引退した機械だろう。
サウンド・オン・サウンド」なんて知らないのではないだろうか。


そういえば日比谷カタン氏も年齢不詳(30歳くらい?)だが、
ジャンゴスタイルのサウンドでギターを弾く。
一方、新大久保ジェントルメンの3人もディレイを多用する。
年齢は40歳くらい、40代後半、50代後半といった3人だが、
こちらはハイファイなデジタルディレイでループさせる。


ライブにおいて、ディレイ&ループによるミニマルな音場そのものに新味はない。
ありふれた道具として、どう効果的に利用するかということだ。
レトロな質感へのこだわりは、若い人の方が非常に強いと感じる。
そこに新鮮な驚きや発見があるからだろう。


観客としての自分は、道具立てそのものが面白いと感じる感性は萎えている、、というよりも、様々な新機材や音律や民族系の楽器が次々に登場して、それを使用するだけで面白かった時代は随分前に終わったようだ。
(最近は、それらをパソコン内でシミュレートする製品がえらい勢いで進化しているけれど、出てくる音そのものは既に聴いた事があるもの。さらに言えばそれが薄まったもの。)
今は「かつてあった表現の引用と再構築」以上のものを期待するのが難しい時代。
圧倒的な既知感に負けないで心が動かされるとすれば、表現の目新しい方法論ではなくて
非常に単純に、表現者のたたづまいとか、匂いとか、違和感とか、、。
それは、楽器が発明される以前の太古から現代までずっと変わりないものだろう。
技術や道具が限界に近い所まで発達したあげくに、原始時代と同じ基準で表現されたものを楽しむ時代になりつつあるのかも知れない。


あまりにも無茶なまとめだな。
色々つっこまれそうだけれど(自分自身反論もすぐ浮かんでくるし(^^;;)、
でも、とりあえず今日の結論はこれにしておこう。